「ぼくは奇形人間」を描いた経緯を長くなりますが少し書かせてください。
自己満足にすぎないのですが。

もしかしたら漫画を読んで分かりにくかった方もいるかと思うので、まず話の筋を描かせていただきます。それと、話の補足も同時に。
補足なんかいらない!という方は読まなくてもいいです。

「ぼくは奇形人間」、主人公の『ぼく』は私たちと同じ人間です。
しかし、『ぼく』がいる世界では、1つ目に腕が1本が人間。これが普通の人間です。
つまり、目が2つあり腕が2本ある『ぼく』は、俗に言う奇形です。
「普通の人間」ではない奇形の『ぼく』は、通っている学校でいじめにあっているという設定です。
『ぼく』を生んだ親ですら、自分の子供を気味悪がって虐待に近いことをしています。
その奇形人間の『ぼく』は、ある日人間の女の子に会います。
その子は奇形である『ぼく』に対して、気味悪がるわけでもなくニコニコと笑いかけてくれます。
『ぼく』は当然、疑問に思います。「何故この子はぼくと仲良くしてくれるのだろう?」と。
そして、女の子に聞くと、なんと人間だと思っていた彼女は、形は違えど『ぼく』と同じ奇形人間だったのです。
同じ奇形人間だということで二人の仲はよりいっそう良くなりました。
しかし、その姿をクラスメイトに見られてしまいます。
仲良く学校へ登校し、教室のドアをあける奇形人間の彼女。
そして信じられない光景。
クラスメイトの汚い笑い声。
続いて教室に入ろうとする『ぼく』の目にも、その光景が入ってきます。
『ぼく』は怖くなり、彼女を連れて逃げようとします。しかし彼女は逃げようとしません。
彼女は言います。「お前のせいだ!」と。
そして『ぼく』は、一瞬寂しくなって、そして考えます。
「そうだった。ぼくは奇形人間なんだ。ぼくは、誰とも仲良く出来ないんだ。」
「ぼくは、奇形人間は、幸せになれないんだよね。ごめんね。」
「なんて勘違いをしていたんだろう。少し調子に乗っていたのかもしれない。」
「ぼくは、奇形人間だから。これ以上彼女を傷つけてはいけない。もっと、もっと奇形にならなきゃ。」
そう思った『ぼく』は、自分の目を潰した…。
この行為は、『ぼく』が奇形という障害に付け加えて、盲目という障害を増やそうと思ったからです。
より奇形人間になろうと思った『ぼく』の行動。結局、それは彼女を救う方法になったのでしょうか?
個人の考えに任せたいと私は思います。

さて、ようやくこの漫画を描きたいと思った経緯について話したいと思います。
私は、人の奇形(世間では身体障害者と言われるのでしょうか?)に興味があります。
そうしてインターネットで調べていくうちに、ある言葉を見つけました。
「もし誰もが腕一本の世界だったら、二本腕の人を貴方はどう思うかね?」
という言葉です(知っている人も、もしかしたらいるかもしれません)。
この言葉を見て、大変衝撃を受けました。誰しもが腕1本の世界だったら、腕が2本ある人は奇形なのです。
腕が3本ある人、足が4本ある人、世間では気味悪がられる存在です。
人間に限らず、動物でも。双頭の蛇、前足がない犬、アルビノのペンギン。
別に、私はそれを環境問題のせいだとか、薬品や戦争でのこと云々と言いたいわけではありません。
それと、障碍者の差別反対だとか、障碍者に優しくしようだと言うわけでもありません。(だからと言って差別しろ!なんては思ってもいませんが…。)
ただ単に、私個人が見てみたかったのです。腕1本の人間が普通と言われる世界を。
その世界で産まれた、腕2本の奇形呼ばわれされる人間の結末を。
目まで1つにする必要はなかったかもしれませんが、その辺は個人的な趣味も加えて。
実は、この2人のハッピーエンド?も用意していました。
2人はあの教室を抜け出し、走って、人目の付かない場所へ着き、2人だけの世界を作る。
…御伽噺にでも出てきそうな、とてもありきたりですが。彼らにそんな未来があっても良かったかなと。

まとめてしまえば、どれも特に意味のない薄っぺらい内容だったわけですが。
もし、この長い長い文章を読んでくださった方がいらっしゃったとすれば、大変感謝です。
ありがとうございます。